Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

私は「うつ依存症」の女

 「私って変わってるヒトだから〜」などという人間に、個性的な人がいたためしはない。自分探しの本を喜んで読むような人には、探すべき自分などないものだ。  真のクリエイティビティを持つ人は、往々にして人間として規格外の部分を持っている。その生き方は、否応なしに辛さを伴う。「個性的」などと憧れている場合ではない。  作家エリザベス・ワーツェルが自らの鬱病体験を語った小説を、『アダムス・ファミリー』『キャスパー』のクリスティーナ・リッチが演じた。若くして才能を見いだされた音楽ライターが抱える、コントロールできない精神。エキセントリックな行動。「病気なんだから仕方ない」とは割り切れない軋轢の数々に、周りも、本人も苦しみもがく。  救いのない映画ではない。原題「PROZAC NATION」の中の「プロザック」とはアメリカで一般的な抗うつ剤で、映画の中では、最終的な救いの手はこの薬によってもたらされる。「周囲の温かい手で」「本人の強い意志で」などのおためごかしで締めくくられていない分、この病気の本質が見えてこよう。  日本では女性の2割以上、男性は1割以上の人が、生涯に一度は鬱病を経験するといわれている。この病気を「気のたるみだ」「ワガママだ」などのお気楽な精神論で扱ったり、「私が救ってあげる」などの思い上がった態度で対処したりするのは、間違いである。決して押しつけがましい主張ではないが、この映画の中の一つ一つのシーンに、その「間違い」を見て取り、ぼくらは反省する。  この病気に苦しむ人が身近にいる人には、あらゆる場面が身に覚えがあるものだろう。鬱病の人など身近にいないという人──あるいは、身近にいることに気づいていない人──には、単なるワガママ女の奇行を描く実験映画に思えるかもしれない。  音楽ファンには、かのルー・リードが本人役で出演しているのも見逃せない点である。

 

【CDジャーナル 2004年02月号掲載】