Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

 アメコミのスーパーヒーロー物には、雑誌社の違いから二つの系譜がある。一つが『スーパーマン』『バットマン』『ワンダーウーマン』などの“DCコミック”系で、二番手が『スパイダーマン』『X-メン』『ハルク』などの“マーヴェル・コミック”系。本作『ファンタスティック・フォー』は後者の代表作で、61年に雑誌に初登場し、日本でも69年から『宇宙忍者ゴームズ』という名でTVアニメ版が放映された。実写映画化はこれが初となる、アメコミ最後の大物だ。

 宇宙嵐の観測に出かけたチームが、未知の放射線を浴びてDNAに変化を起こしてしまう。天才科学者のリードの手足は、ゴムのように伸縮するように。その元恋人・スーは、体を透明にしたり、防御シールドを張ったりできる。スーの弟でお調子者のジョニーは、火の玉になって空を飛び、リードの親友・ベンは、怪力の岩男に変化。四人は戸惑いつつも、その能力を世界のために使おうと誓う。

 が、この四人があくまで人間くさいのだ。超人のくせに恋や借金に悩み、自分の容貌に絶望する。せっかくの超能力も、しょうもないことに使ってばかり(ゴムのように伸びた手でトイレットペーパーを取る!)。60年代、後追いでヒーロー物を出そうとしたマーヴェル社が採った戦略は、すでに大人気だった『スーパーマン』などが“完全無欠のヒーロー”であったことに対し、“人間味のあるヒーローを描こう”というものだった。本作は、その戦略に乗った先駆作だったのだ。

 ……などと原作アメコミの事情を振り返ってみたのは、本作が“アメコミ映画化の原点回帰”に思えたから。近年、アメコミの映画化といえば、CGによる新しい表現の実現をするためだったり(『スパイダーマン』)、その回顧とパロディだったり(『Mr.インクレディブル』)するわけだが、本作はそのどちらでもない。昔ながらのやりかたで、ただコミックを映画化している。よく言えば“原点回帰”、悪く言えば“在庫一掃セール”。シリーズ化の要素満載なので、評価は次作を待つべきか。

【CDジャーナル 2006年03月号掲載】