Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

クラッシュ

 ここ数年、都市部のコンビニや居酒屋で、来日間もない外国人が店員として立っているのは普通の光景となった。彼らの多くは若く、頑張り屋で、仕事も言葉もあっという間に覚える。一方で、同じ来日外国人による凶悪事件が多数起きていることも事実だ。「我々の職を奪っている!」「ヤツらがこの街に来るまでこんなことはなかった!」と怒っている人を見ることがあるが、感情的になってみたところでこの流れは変わるまい。

 本作では、多民族国家の先達であるアメリカの、複雑な人種構成と差別意識がきれい事なしで描かれる。淡々とした流れの中に10人を越す主要人物が配され、数々のぶつかり合いが静かに浮かび上がる。差別意識の強い白人警官に、被害者面の黒人ギャング。黒人の夫と白人の妻。アラブ人と間違われ迫害されるトルコ人一家。華僑の夫婦は蔑まれながらも強く生き、人権派を標榜したい白人検事は汚い裏工作を平気でやる。劇中では、いくつかの交通事故を介してこれらの人物が交錯するが、その複雑な構成は見事と言う他ない(アカデミー脚本賞受賞)。また、事故がこの物語を紡ぐ表糸ならば、裏糸となるのが“訛のある英語”だ。登場人物たちはみなアメリカ式の強い自己主張を繰り返すが、周囲には“半端な英語を話す連中”としか見られていない。多様化した社会の中で“自分を防御するための差別意識”が生まれ、微妙に言葉が通じないもどかしさがそれを増幅する。

 異なる文化がぶつかり合ったときの軋轢(=クラッシュ)について、この映画はなにも解決法など示してはいない。ただ冷静に、物語を紡ぐだけ。分かっている、もとより“解決法”など存在しないのだ。私たちに必要なのは、現状をそのまま飲み込むための度量の広さなのかもしれない──などと頭でっかちに考えながら観ていたら、いくつかの場面で足をすくわれ、気がついたら泣かされていた。良作である。

【CDジャーナル 2006年08月号掲載】