Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

リトル・ミス・サンシャイン

 アリゾナに住むフーヴァー家の人々は、揃いも揃って地味にダメ人間。7歳になる娘のオリーヴは、美少女コンテストでの優勝を夢見ているおデブなメガネッ子。父親は“人生の勝ち組になるためのハウツー”を開発して売り込もうと右往左往、結局自分が負け組になりかかっている。祖父はヘロイン中毒のエロ爺さんで、老人ホームを追い出された。長男は傾倒するニーチェの哲学をどう曲解したのか“夢が叶うまで誰とも口を利かない”という苦行を9ヶ月も実践中で、自称“アメリカ随一の文学研究者”の伯父は、男の恋人をライバルに寝取られて自殺未遂。そんな一家のまとめ役であるはずの母親も、よく見れば家族に対する気遣いが雑なことこの上ない。

 当然のようにどこかギスギスしているこの一家が、黄色いオンボロのミニバスに乗り込み、カリフォルニアまでの長旅にでかけることになる。娘のオリーヴが、なぜか美少女コンテストの地区代表に選ばれたのだ。小さな車の中で揺られる家族は、最初バラバラで、途中でもバラバラ、最後の最後まで結局バラバラ──なのか?

 ありがちな物語なのにどこか心地よいのは、たぶん、いつも強気でハツラツとしている友人が、実は小さなコンプレックスを持っていると知ったときの安堵感に近いのかも。アメリカといえば、ときには根拠もなく「自分は勝者だ!」と喧伝するお国柄。“勝ち組の物語”には食傷気味なのかも知れない。

 物語の終盤、美少女コンテストのステージでのドタバタは見物だ。本筋の勢いに押されて気づきにくいが、会場にいる人の表情がきっぱり二分されている。苦虫をかみつぶしたような顔をしているのが、“勝ち組”の崇高さを信じている人。つい笑ってしまっているのが、“勝ち組”の裏側を知って、そのハリボテ具合にウンザリしている人。物語をつくった人々のスタンスがそのどちらであるかは、考えるまでもないだろう。(吉田正太)

【CDジャーナル 2007年06月号掲載】