Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

シューテム・アップ

 銃は男性性の象徴、発砲は射精の象徴だと言われる。とすれば、全編を通して2万5千発の銃弾を縦横無尽に撃ちまくる本作は、“無限に射精を続けたい”という男の無理な欲望を映像化した作品と言えるかもしれない。

 物語の始まりは、ニューヨークのさびれた裏路地。若い妊婦がマフィアに追われているのを見た浮浪者のスミスは、彼女を守ろうと銃を取り出す。銃だけは彼のアイデンティティなのだ。マフィアの数はどんどん増え、あっという間に激しい銃撃戦に。その最中に女は出産し、流れ弾に当たって絶命。スミスは生まれたばかりの赤ん坊を抱き、母乳を求めて行きつけの娼婦館に向かうが、次第にこの赤ん坊の背後にある巨大な陰謀が見えてきて──と書き並べてみたものの、実のところ筋らしい筋はない。すべては“銃撃戦”が起こるための舞台装置、ガン・アクションを描きたいがために後付けされたストーリーだ。廃墟ビルでの高さ・広さを使った銃撃戦。カー・チェイスの最中の銃撃戦。トラップを駆使した銃撃戦。挙げ句の果てに、セックスしながらの銃撃戦、飛行機から飛び降りての空中銃撃戦、ニンジンを使った銃撃戦……笑ってはいけない、真剣だ。あくまで真剣に作られた、壮大なB級バカ映画だ。

 もともと絵コンテが専門だったデイヴィス監督は、ガン・アクションを描きたい一心で6ヶ月かけて1万7千枚の画によるデモ・アニメを自主制作、映画会社に売り込んだ。無事企画が通り(よく通ったな……)映画化された際に使われたのは、80種類の銃、6千発の起爆装置、15ガロンの血液、80人以上のスタントマン。男の幻想を目一杯膨らませ、刺激に刺激を重ね、弾を撃ちまくって、あとに残るのはちょっとした爽快感と大きな虚無感──やっぱり“射精”と同じである。

【CDジャーナル 2008年12月号掲載】