Shota’s Movie Review

2003年から「CDジャーナル」誌(音楽出版社 刊)に掲載されてきた映画レビューを再録しています。

ナチュラルウーマン

 南米チリの都会の片隅。昼はウエイトレス、夜はクラブ・シンガーとして働く女マリーナの部屋で、ともにくらしていた男、オルランドが急死した。だが彼女には、恋人の死を悲しむ贅沢さえも与えられない。相手は親子ほどに年が離れていた上、マリーナは元男性の“性転換者”だったからだ。

 ただそれだけのことで警察からはしつこく犯罪を疑われ、オルランドの元家族からは化け物だ、変態だと罵られる。通夜や葬儀に出て最後の別れを告げることさえも拒否された。故人の息子は浅薄で無神経な男だったが、親族の中には寛容さを持つものもいた。元妻も、夫が性転換者を愛していたという屈辱の中、それでも精一杯彼女を尊重しようとしたのだと思う(わざと彼女を男性名の“ダニエル”と呼んだりもしたが)。

 たぶん本来は、みな善良な人々なのだ。しかし法的に何の権利も持たないマリーナは親族の力で早々にアパートを追い出され、車は取り上げられ、愛犬さえも奪われてしまう。故人の家族は、自分の夫、自分の父親が晩年になって“オカマを愛した”ということを感情的に認められないだけでなく、あくまで善意として、故人の体裁や尊厳を守っているつもりなのだ。その善人たちが、自覚なき差別や偏見によって、本来もっとも悲しんでいるひとりの女性をさらに苦しめる。

 さまざまな人の口から悪意なく出てくる“ふつうは”“ふつうの”という言葉。だが彼女は“ふつうって何よ!?”と叫びはしない。生涯でもう何百回何千回と自問自答し、押し殺してきた叫びなのだろう。彼女は全編を通して一度も笑顔を見せないかわり、一度も涙も流さなかった。その姿は、世の軟弱な男どもよりよほど筋を通して生きる、逞しくも健気な本物の女=ナチュラルウーマンだと思える。

 ヒロインを演じるのも、元は男性の歌手ダニエラ・ベガ。歌唱力は当然として、その優れた演技力で史上初のトランスジェンダーのアカデミーノミネートの可能性も強く噂された(成らなかったが)。本作では、彼女自身が役柄を超え、足を踏ん張って生きているのが分かる(ただし性転換の完成度が高すぎてごく自然な女性に見えてしまうのが本作においては難点)。

 監督は『グロリアの青春』のセバスティアン・レリオ。アカデミー外国語賞受賞。

【CDジャーナル 2018年08・09月合併号掲載】